ココペ

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もう二十年も昔になりますが、やたら顔の大きい青年が当方を訪れました。
その顔の形から、ベース呼ばれるようにようになり、当時まだ学生だったのですが
夏の間当方のお手伝いしてくれることになりました。
多少屈折しているところはありましたが、面倒見よく一生懸命働いて人気者でもありました。
その後、やはり当方でお手伝いをしてくれた久美子さんとゴールインし、
信州のイタリアンレストランなどでの修行を経て、北海道での起業を考え
五年ほど前から旭川に近い当麻町に住むようになりました。
当麻町の郊外大雪山系を望む、から松林の土地を分けてもらうことができ、
円形の仮店舗で二年間営業をした後、昨年(2003年)十一月に本店舗が完成して、
皆さんにおいしい手作りピザやパスタを食べていただきたいとがんばっております。

外壁は木のサイディング、
赤い三角屋根のお店です。
正月の後訪ねてみました、
今年は雪は少ないようですが、
それでも60cmほどの積雪です。
オーナー夫妻の、
ベース(樋田)と久美ちゃんです。
内装は、自分の土地で切った
カラマツの板を使っています。
天気が良いとこの窓から、雪を頂いた
大雪の山々が臨まれます。
樋田家の三人の子供たちも大きくなりました。

偶然、かそれとも必然か        
                        ピザハウス ココペリ  樋田 守昭

現在、上川支庁の当麻という所で、家族5人で暮らしている。自分もまた、ご多分に漏れず、
北海道移住者であり旅人である。
26年前の夏、今は懐かしい連絡船にゆられてやってきた北海道、
その時にはもちろん今の自分なんて想像も出来なかった。高校生の身にとっては初めての風景であり
初めて出会う人ばかりであった。国鉄、バイク、自転車、ヒッチハイク、徒歩… 
いろいろな方法で北海道をまわった。
学生なのに、どうしてか「夢食」という人たちになりたくて、あっちこっち駆けまわり
「社会復帰」ならぬ「学生復帰」がむずかしくなった。卒業は何とかしたけれど就職活動もせずに念願の
「季節労働者旅人」になった。

有り余る自由な時間を得て、北から南まで渡り歩いた。YHのヘルパー、民宿の居候、牧場、山小屋、
人参工場、馬鈴薯積み、スキー場、製糖工場…。このままずっとこうしていくのかな…?
なんて思いながらも楽しんでいたのだろう。人並みに社会生活を送った事がない自分でも、結婚、
子供とくれば、否応なしに普通の生活にさらされる。信州で暮らす頃からいろいろと真面目に考えるようになった。
自分自身の旅から2人、そして
3人、4人、5人と家族での旅が始まった。
山とスキーもほどほどにして人生初めての勉強に取りかかった。北にしようか南にしようか迷い
ながら
3年が過ぎ、不安と期待の入り混じった北へと旅立った。
今度は、一人旅の様な気楽なものではない。大雪山の見える所というだけでは食べてはいけない。
北海道の現実はきびしい。職訓に通ったり、バイトを掛け持ちしたり、キュウリの洗果場、田植え、
ビニールハウス建て、町道のダンプ除雪など、スクランブルに働いた。

縁があって、大雪山を望む山林を譲り受ける事になり開拓がスタートした。取り付け道路、数百本もの伐採、
浄化槽、コンクリート基礎の施工など
2年程かかり、仮店舗での営業にこぎつけた。
ようやく大雪山を見ながら仕事ができる様になった。家族
5人の北海道での旅のスタートまであともう少し。
それから2年半、待ちに待った店舗兼住宅が完成した。紆余曲折があったが、
やっとたどりついた当麻の丘のカラマツ林の中。たまにやってくる旅人らしき人達。
懐かしく思ったりもしながら、今朝もまたピザの仕込みが始まった。
数多くの旅人や地元の人達、
素晴らしい自然、あの頃の事はよく憶えている。そしてまた違った北海道にこうして生活している。
いつまで北海道に居るのか、ずっと居るのかわからないけど、また今日から明日へ向けて旅がはじまった。

偶然か必然なのか今もわからないまま、今日も一日が始まった。
             大雪山の稜線から陽が昇りはじめた。               

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